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アーバン・インフラとまちづくり研究会 現地調査 報告

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NO-042-00 2019/02/13 松戸市 街歩き:新松戸の駅の周辺、戸定邸、坂川              
2019年2月13日は常磐線の新松戸駅で10時30分集合し、新松戸の開発予定地を見て、
JR新松戸駅に戻りった。ここの区画整理は、新松戸駅東側地区土地区画整理事業として、令和元年8月16日に千葉県知事から認可を得て実施にうつった。立体換地を使う開発だという。

西口からふるさとの川の「坂川」を見行く。新坂川緑道と合わせた整備がされており、春にはきれいな桜並木が現れ、人々の散策が予想される。ただ、整備は、さらに追加が必要に感じられた。桜並木がもう少し続いたらと個人的には感じられた。新松戸から馬橋駅まで歩き、ここから松戸駅まで移動した。

馬橋駅は不思議な駅で、西口は道路に接道しておらず、歩道だけがつながっており、ここに駅前広場があるのである。東側に地平駅舎が東口があり、駅開業以来の古い商店街が存在している。
松戸で昼食を、聖徳大学の駅前校舎の一番上で食べたので、松戸の駅の西口側の人工地盤がよく見え、東口と両側を人工地盤で構成した駅前広場である。

徒歩で戸定邸(とじょうてい)へ向かう。
戸定邸は、水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建てたもので、1884年4月に座敷開きが行なわれており、明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物である。
1890年末に庭園の整備を終えました。かつて7万平方メートルを超えていた敷地の約3分の1が、現在、歴史公園となっている。2015年3月10日付で戸定邸庭園が国の名勝に正式に指定された。

最近、この公園の中に、 「ひなげしの小径」が整備され、ここに、与謝野晶子の歌碑が拙著された。これは与謝野晶子が松戸で詠んだ歌60首(歌集瑠璃光)のうち18首と、夫である与謝野寛(鉄幹)の歌1首が刻まれています。

(1)新松戸駅周辺

(2)ふるさとの川:坂川(新坂川緑道を歩く:新松戸→馬橋駅)

(3)旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)

参考
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新松戸駅東側地区土地区画整理事業について:松戸市ホームページ
更新日:2019年12月10日

https://www.city.matsudo.chiba.jp/smph/shisei/toshiseubi/kukakuseiri/shinmatudo-kukakusei.html


事業概要
 新松戸駅東側地区については、健全な市街地の形成と地区の課題である狭あい道路の解消、駅前広場や下水道・斜面緑地の整備などを目的として市施行にて立体換地を活用した土地区画整理事業を計画しています。
 この度、令和元年8月16日に千葉県知事から認可を得て、事業を実施することとなりました。
 対象地区は、幸谷字宮下、字溜ノ脇の各一部、約2.6ヘクタールです。
 なお、本事業計画書については、街づくり課の窓口にて縦覧することが可能です。


立体換地とは、整備前の土地に対して、これと同等の資産価値となるよう、立体換地建築物(マンション)の床及びその床面積に応じた立体換地建築物の敷地の共有持ち分に権利を変換するものです。
そのため、立体換地を活用した区画整理事業の減歩率は、一般的な土地区画整理事業よりも高くなります。

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ふるさとの川:坂川 基礎データ
指定年月 昭和63年6月
認定年度 H-元
「ふるさとの川」掲載ページ-(1)P-078
関連事業:再開発整備事業
水質汚濁がひどい:区画整理による遊歩道区間の確保

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旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)の概要:松戸市ホームページ
https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/index.html

 水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建てた戸定邸の敷地の内、約三分の一は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。
 公園内には徳川昭武と彼の兄徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)、昭和53年に松戸市建設したお茶室の松雲亭があります。

戸定歴史館
 戸定邸に隣接する博物館。戸定邸と庭園の公開や徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品、徳川慶喜家伝来品、1867年パリ万国博覧会関係資料の展示を行っています。
 徳川昭武が将軍名代として派遣された万国博覧会に関する資料や幕末から明治にかけての古写真、戸定邸の歴史を語る文書や調度品、慶喜が亡くなるまで手元にあった彼の遺品などを順次公開しています。数ヶ月に一度は展示替えのため、休館期間があります。(戸定邸は開館)


戸定邸
 明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。約2年の建設期間を経て1884年4月に座敷開きが行われました。増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23に及びます。旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が、高く評価されています。 

 江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら、徳川家が権力の座を離れたため、生活様式は大きく変化し、規模が著しく縮小しています。建物は大きく三つに分けられます。1) 来客や他家との交際に使う区画 2) 家族が暮らす区画 3) 職員のための区画です。各区画の性格に応じて、建物の構成や材木の質が異なっています。


戸定が丘歴史公園
 徳川家は約400年前から260年間に及び、日本の統治者でした。権力の座を離れた徳川家は現代にまで続いていますが、変革の次の時代、明治時代の徳川家の住まいと庭園を見ることが出来る場所が戸定が丘歴史公園です。

 徳川家の最後の統治者(将軍)・徳川慶喜(1837年から1913年)の弟・昭武(1853年から1910年)は1884年4月に戸定邸の座敷開きを行い、1890年末に庭園の整備を終えました。かつて7万平方メートルを超えていた敷地の約3分の1が、現在、歴史公園となっています。


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